知らなくていいコト
早稲田に入って、1年経った頃だったか、自分の心情に大きな変化がありました。
変化する前は、「赤信号渡ったらシュート入らなくなる」という考えの持ち主でした。
つまり、日ごろから真面目に努力していることによって、運を引き寄せる的な考え。高校生の部活でよく教わることなのだと思いますが。
で、大学生に入って、いろんな世界を見た。というか知った。
どんな有名な選手も、時には遊ぶということ。
どんなに努力をしても超えられない壁があるということ。
真面目な努力をしている人が必ず勝つとは限らないということ。
次第に、努力と勝利は無関係なものであると考えるようになりました。
それが行動にも影響を与えるようになって、遊んでも、やることさえやればいい。
勝っても負けても、自分がやりがいさえ感じていればそれでいいと考えるようになりました。
この変化が、後に起こす大失敗への静かなる序章であったことは明白で、
明白だけど、決して後悔はしていないというのが本音です。
もちろん、あの出来事によって自分の人生は大きく変わったかもしれない。
だけど、人生には「こうなっていたはず」の未来は存在しなくて、それはただの妄想やその類のものであって、今の自分が、いつだって自分なんだと思う。
失敗も成功も、どんな出来事も、全てが「自分が自分にしかなれない、自分はどこまでいっても自分なんだ」ってことの確認なんだと感じます。
だからこそ、今の課題は過去と、過去の未来と、過去のあの人たちに執着しないこと。
どんな時も、前を向いて真っ直ぐに生きていくこと。
それしかできないと受け入れること。
いつの日かそれを、正解にする日まで。
しばらくは脇目も振らずに一心不乱に走りたい。
初投稿
初投稿。
2020年8月15日、終戦記念日の朝です。
『終戦』とか『太平洋戦争』については、小学校の頃からめちゃくちゃ好きで、作文が入賞したり、社会の成績だけ良かったりしてた。
高校大学も自主的に勉強したりして、自分なりの戦争に対する考えみたいなものを持つようにしてた。
でも大学の教育法の模擬授業で、そんな話をしたら先生や他の学生からお叱りを食らって、、つまり、歴史的な事象に対する自分の意見は言ってはいけないのだと。
でもそんなことはもちろんわかってて、だけど、この『戦争』に関しては、教育だろうが洗脳だろうがバイアスだろうがなんだろうが、『戦争はダメだ』と、教員が胸を張って、言っていいことなのだと思う。
教員の世界とは、民間よりも何よりも遅れている世界で、そしてこれから先もずっと変わることはないと思う。
ただでさえそうなのに、モンスターペアレントが出現して、そんな環境で、若いうちから斬新なことはできず、事なかれ主義の教員が増え、学校が無機質化していく。
多くを学ぶ空間ではなく、カリキュラムに定められた教育機関としての場として、変わっていっているのだと、そう感じてます。
だから、AIだとか、オンライン授業だとか、取って代わられるものになりつつあるんだと思う。
そんな話はさておいて、このブログを始めた理由について少し。
小学校6年生から今日まで10年近く、いつか先生になった時に使うため、大河ノートをつけてきました。(今では5冊にものぼる超大作)
印象に残った先生の言葉、バスケットボールの戦術や技術、練習メニュー、考え方、感じたこと、偉人の言葉、刺さったコピー、印象的な歴史的事象、etc
たまに読み返すと非常にエモくなります。
先生の一言で人生が変わった日
メンバーに選ばれず泣きながら電車に乗ってたあの日
日本一になったあの日
広島インターハイで確信を持ったあの日
早稲田を目指すって宣言した日
早稲田が本当に決まった日
などなど。
いろんな感情で生きてきた自分が、そこにいます。
筆跡とか、汗とか、コーヒーと、(これほんとの話)涙とか。そりゃもうエモくてエモくて。笑
で、デジタル化したいと思ったのは、チャイ子ちゃんとmitsusharyとbibidebabideとForbesJapanとかshirubiとか、まあ色んな人が発信してるのを見て憧れたから、です。
だから自分のための備忘録と、誰かがもし読んでくれて、それがもしなんかにつながればっていう、計画的偶発性のあるそんなブログになります。
当面の間誰にも教えるつもりはないけど、そのうち誰かには言うかも。笑
それでは、また気が向いたら徒然なるままに書きます。
自己紹介は、なし。会った時にします。